今現在においても、世界のどこかで紛争や戦争が起こっている私たちの地球。
人は過去から何を学んできたのか? 傷つき、悲しみ、途方に暮れているのは本当は殺し合いを望んでる人々ではないはず。
日常を怯えることなく暮せる国に今のところ“たまたま“住むことができているラッキーな私たちは、SNSやニュースで「遠い国の悲惨な出来事」を目にして心が痛んだりする。
だけど人々が終戦を願っても、結局は「国家」という名の一部の政治家や富豪たちの策略に翻弄され呑み込まれていくのだと知っちゃったりもする。
爆撃に怯える子ども達、亡くした子供を抱きしめて泣き叫ぶお母さんたちの姿。
そんな映像を見るたびその恐怖と悲しみの大きさに胸が痛くなり、涙が出るのは私だけではないはず。
戦争反対!
戦争でなんか何も解決できない!
罪のない人が犠牲になるのは可哀想!
逮捕されるリスクの中、それでも平和や解放を求め声をあげて立ち上がってくれている勇敢な人々がいる。
大多数の私たちは声をあげなくても、本当は戦争に憤りを感じながら自分たちの暮らしを生きているんだと思う。
戦争でなくても例えばウイグル人が大量虐殺、拘束・拷問されていたり、さまざまな国で女性や女の子(ジェンダーは関係ないけど)が性奴隷として幼いまま結婚させられていたり、逃げられずに売買されたり。
貧しい人々が自由に生きる権利もなく搾取され、脅かされ、今日生き抜くことを必死に暮らしている人たちがいる。
満足に食べることのできない子どもは、どこかの外国だけじゃなくこの日本にもたくさんいるそうだ。
世界にはいつの時代も「奪う者」と「奪われる者」がいる。
お金のためなら血も涙もないことをする人間がいる。
それでもネット社会のお陰で情報を集めることができて、同じ志の人々と繋がれることはとてつもないパワーだと思う。
少しずつ闇が暴かれ、光を求める人が増えてきている。
そんな世界平和や自由を願っている私たちでも、動物たちを取り巻く「残酷な真実」は知らないことの方が多い。
人間だって大変なんだから、まず人間でしょ!
動物のことを語ると、こんな言葉を耳にするのは“あるある“。
だけどそれって本当かな?
人間だけが平和で安全で助け合うことを優先させることが当たり前なことなのかな?
表に見えているコトだけが世界の全てではないことに「気づき、知る」と、“知らないだけ“で私たちがどれほど「動物たちの苦痛に加担」しているのか驚く。
いじめや暴力が悪なのに、実は想像を絶する暴力を知らないままに振るっている私たちの暮らし。
「思いやり」「優しさ」「愛」「助け合い」「平和」「平等」「慈しみ」
これらの言葉とはかけ離れた、私たちの「幸せな生活」を支える「動物たちの苦しみと悲しみ」。
動物たちを取り巻く現状を知ってしまった今、私はこの世の中を斜め下から眺めている。
戦争は反対。
もちろん反対。
世界が平和であってほしいし、悪がまかり通る世の中は嫌。
人間だけが幸せなら、動物は苦しくてもO.Kな世の中で幸せが見つかるのだろうか?
動物は人間より鈍感なのだろうか?
動物の苦しみは見なければ、聞かなければ、知らなければ「ないこと」と同じなのだろうか?
「人間の苦しみと動物の苦しみは別モノ?」をシリーズとして、動物たちの様々な現状をお伝えしていきます。
声なき者たちの声になる。
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